狂牛病
狂牛病
狂犬病
狂人日記
などと並べて病気の話を書いたら、誰か思わず笑ってくれると思ったことがある。要は狂牛病の解説をしようと思っただけのことで、ついでに語呂が似ているからと狂犬病も解説し、そして遊び心で、魯迅の有名な小説「狂人日記」についても並べて、簡単に説明しただけの話だ。行政の場では意外と冗談が少ない。公務員規律の中で、業務中には冗談を慎め、と書いてあるのかどうかは知らないけど、会話に潤いがないような気がする。
もちろん、行政といっても僕が知っているのは自分のところと、時々関係する近隣の行政の場所だけだから、日本全体の一般的な話とは言えないかも知れない。
ヘルマン・ヘッセの晩年の作品に「荒野の狼」がある。そこで彼は[フモール]という言葉をテーマにする。フモールとはユーモアのドイツ語である。ユーモアとは国語辞典で[上品な洒落]と書かれているが、多分、本質は違うと思う。ここでは変化する社会の喧騒(ブルジュア的世界)の中に、全ての価値観を否定してしまった中年男が死をも考えながら、日々の生活を送る様子が描かれている。作者はここで「フモール」という概念を持ち出す。フモールを通して回りを見よ!と、幻想的な手法で主人公に命令する。このフモールなるものはいまだ僕には完全に理解は出来ていない。多分、彼が言いたいのは、心のクッションのことのように思う。それは東洋的、または仏教的なニュアンスのものだけど、形あるものの表面に捉われずに、その奥に内在すろものを感じ取れ、ということなのかも知れない。
これは日本語でいうところの[冗談]に通じるような気がする。いわゆる[駄洒落]とか[風刺]とは違うものだが。
ヘッセの[フモール]とは、たぶんに欧米社会の、いわゆる[ユーモア]とは異なるように思っている。ユーモアは、やはり、少々風刺的なニュアンスを軽く持った、そして誰もが理解できる表現だ。この誰もが理解できるというところが難しい問題なのだ。
行政の場では、いわゆるお堅い雰囲気の人が多い。この、お堅い、という表現はネガティブのものだ。ドストエフスキーの[虐げられた人々]に典型的公務員が登場する。保身、出世欲だけで無教養な公務員達だ。帝政ロシア時代が背景だが、結構現代の日本にも通じそうだ。無教養といっても日常業務の知識は持ち合わせているから、公務員としての業務だけはこなす。彼は、これらの公務員を悪いといっているのではなく、単に環境描写として登場させるだけの話だ。
たぶん、良い冗談とは知性が必要なのだろう。だから知性ある人々にしか理解されない。理解されなければ、[いやみ]としてとられる場合も多い。だから技術が伴う。
・・・いやね、僕もそうだけどね、・・・、と僕は必ずその対象の人間に自分も含ませて話すことにしている。でも、やはり[いやみ]にとられることもある。それは相手の[ひがみ]に由来するものか、それとも自分の中にある[おごり]に由来するものかは分からないが、いずれにしても良い冗談とは難しいものだ。
結局、誰も僕が狂牛病のならびに狂人日記をくっつけた理由が分からなかったようで質問はされなかった。語呂が面白いからくっつけたこともあるのだけど、現在の公務員社会にも通じるところが多いテーマを持った小説だから僕は選んだのだ。分かる人がいたら、もしかしたら[冗談]ではなく[いやみ]としてとられたかも知れない。いや、意外と分かっていても、何も言わないのかも知れない。冗談で返す習慣のない行政の場なのだから。