ウォーキング!−−それは心身の浄化

                             

 古代ギリシャの医師であった医学の父「ヒポクラティス」は、歩くことは万病の薬、と言ったといわれますが、歩くこと、すなわちウォーキングは大昔から人の健康にとって重要であることが知られていました。ドイツのハイデルベルグ城の真下を流れるネッカー川の崖沿いに有名な「哲学者の道」があります。そこを多くの哲学者達が散策しながら思索にふけっていたことは有名です。日本の京都にも「哲学の道」があります。作曲家のベートーベンも森の中を歩いて曲想を練ったと言われます。俳人の松尾芭蕉も各地を歩ことで多くの俳句を残しました。  

 「歩く」という動作は人間にとって当たり前の動作ですが、上述したようにこの当たり前の動作が、古今東西、人間にとって重要な動作となっているのです。それは単に必要な場所に行くためという行動上の目的だけではなく、身体的健康にとっても、感性の育みにとっても重要であり続けたと考えられます。

 「歩くこと」はなぜ古代のヒポクラティスが言ったように「万病の薬」なのでしょうか。それは適度に心臓と肺、そして下肢の筋肉を使うからです。下肢の筋肉が働くために酸素を要求します。その酸素は肺から取り込まれて心臓から血流に乗って全身に送り出されます。今では有酸素運動と呼ばれますが、心臓の機能と下肢の筋力の維持に重要な人間の動作です。多く歩くことで心臓と下肢の筋肉は鍛えられます。心臓と下肢の筋肉が鍛えられると、さらに多く歩くことが可能になりますし、また体を動かすことによる疲れも簡単に出なくなります。

 古い時代、人が移動するとき自分の足で歩きました。疲れると休み、また歩きました。それは生活の糧を得る場合もありましたし、用事で遠くに出かける場合もありました。江戸時代に旅に出た人々は一日8万〜10万歩は歩いたと言われます。その頃の人々は現代人よりも疲れを知らなかったかも知れません。また幼児は歩き出してから二、三年の間は家の中や家の近くを歩き回ります。そして下肢の筋力と心肺の機能が発達して行きます。幼児期の体の発達は歩くことで促されているのです。

ウォーキングが人にとって大切な理由は体の健康にとってだけではありません。多くの哲学者や芸術家が森の中を歩いたことからも分かるとおり、歩くことで人の五官が刺激されます。目に入る森の中の光景、木々や草花から流れ出る多くの香り、川のせせらぎや小鳥たちのさえずり、木立を流れる心地よい風、そして湧き出る泉を手ですくい、そして口にしたときの冷たく新鮮な味。全ては「生きている」実感です。

 乳児から幼児、そして思春期へと子供達が移り変わって行く間、子供達の感性は育まれ、そして完成して行きます。人としての感性は自然の中でしか育まれません。四季の移り変わり、草花や木々、そして小さな生き物達の生命の力、自然の変化の厳しさ。それら全ては幼い子供達の感性の育みにとって重要です。また私達大人や高齢者にとっても自然は幼い頃からの様々な体験と思い出を呼び起こしてくれます。森の中を歩いていて、ふと暖かい懐かしさを感じることがあります。そうしたとき、私達の心は全ての扉を開いて、幼い子供達と同じように、自由に気ままに自分の周りの全てを受け入れることが出来ます。この状態はまさしくリラクゼーションなのです。

 自然の中の木々や草花の香りは私達の心身に働きかける様々な作用を持っています。この中でもフィトンチッドは有名です。このフィトンチッドと言う物質は、殺菌作用を持った揮発性物質で、すがすがしい香りを持っています。害虫忌避、有害菌の不活化、消臭効果、精神安定効果などがあります。また木の種類によっては喘息や他のアレルギー疾患の予防や治療に役立つものもあるようです。

かっては「歩くこと」は特別なことではありませんでしたが、車社会になってからは、それらの利便性を求めることが中流家庭のシンボルのように社会の中で誤って理解され出しました。私たちは「歩くこと」を捨て去り、身体を使わなくても容易に何でも手に入れることが文明の進化のように思いこんでしまいました。その結果、食生活が豊かになるにつれ消費カロリーは減少して、肥満のための特別な運動プログラムが必要になりました。一方、下肢の筋力減退と心肺機能の衰えは体力の低下を招き、それはさらに「歩くこと」が生活の中で減少する結果になってしまいました。 

 このように森の中を歩くことは精神的開放感の他にも身体的にも多くの利点があると言えます。

今、新しく起こってきた「ウォーキング」とは何も特殊なスポーツではありません。私達が忘れてしまった、「自分の足で生活」する習慣を取り戻すということが基本なのです。そして自然の中で私達の五感を呼び戻すことが重要なのです。五感を呼び戻すことによって精神的に充実感を味わえるはずです。そして家族の中で、夫婦の間で、カップルの間で、そして職場においても「生きた」会話が弾みだすでしょう。

「ウォーキング」と名付けられた新しいスポーツはある意味でリバイバル・スポーツと言えます。そしてその究極の目標は、私達の心身を自然に戻すと言うことなのです。身体を使って自然を味わい、そして自然の恵みの中で心身の浄化が出来るのです。

「ウォーキング」には方法がありますが、取りあえず自分の方法で森を、丘を歩いてみましょう。心地よく流れる汗の中に、ふと幼い日に両親や兄弟と歩いた光景が浮かんできて、多くの言葉が蘇ってくるはずです。そのとき私達の創造性は芽生え、そして芸術家にも、哲学者にも、私達は変わるのです。