夏の顔


 8月も過ぎる。先日は暑い盛りに、盆のお墓参りに出かけた。短時間ではあったが、夏の顔に出会った。暑い夏、それは子供の頃の夏休みのイメージにつながり、そして、なぜか畳の上に転がり、窓から入ってくる心地よい風を受けながら、昼寝している感覚につながってゆく。そんなことを考えていると、見失った夏の顔が断片的に浮かんでくるのだ。
 北イタリアのシエナの町の裏通り。中世からの石畳は意外に歩きやすく、夏の太陽の光を浴びながら1時間ほど歩いただろうか。光景の中では、木々も城門も、教会の十字架さえも、真夏の太陽光線に色彩を奪われたように、白さだけが残っていた。憂鬱げに所々開かれた窓。
 今年は去年ほど暑くはないが、それでも我が家の四匹の犬達はそれぞれ涼しい場所を探して、階段の踊り場とか、2階のホールの板の間とか、玄関の床などに憂鬱げに散っている。夕方になると彼等は起きだし、散歩をせがみだす。この光景、いつの日か僕にとっての懐かしい夏の顔となっているはずだ。間違いなく。この夏、僕はそう思った。