夫婦の会話

                               
 夫婦も円熟期を迎えると、会話が少なくなるのが通例だ。お互いの存在を確認するのは、短い言葉でほとんどの場合は用たりる。欧米人のように、会話の中味で確認し合うという習慣は日本にはない。私は今でも愛しています、などのような、裏をとれない会話は日本人の場合不要で、お互いの表情や動作などでそれは確認し合える。それは良いとか悪いとかの次元の問題ではなく、四季を通じて自然の中で生活をしてきた農耕民族の感性によるものと僕は思っている。
 しかし、農耕民族の血を引いている日本人の感性も変わってきた。今の若いカップルを見ているとそれが良く分かる。そこには農耕民族の名残りはなく、いつまでも会話は飽くことなく続けられる。よくそんなに話す内容があるもんだと、僕は感心する。都市民族の誕生なのかも知れない。
 子供が生まれて言葉を覚えてくると、夫婦の会話は子供を間に挟んでの川の字スタイルになるが、これは微笑ましい自然の摂理と僕は思っている。そして今、子供が去った我が家では、第二世代の子供達を間に挟んでの会話を楽しむ習慣が定着しつつある。農耕民族の血を引いた中年夫婦の新しい会話のスタイルと僕は思っているが、当の三匹のワン公達が時々大きな口を開けて欠伸をしながら、横になってしまうことが僕には気に入らない。