禁じられた遊び

1952年度作品
原作:フランソワ・ボワイエ
監督:ルネ・クレマン
音楽:ナルシソ・イエペス

古典的名作であるこのモノクロ映画は僕の心に残る映画の代表でもある。

幼い少女ボーレットの目を通して、理不尽な戦争さなかの大人の世界を映してゆく、ルネ・クレマンのこの傑作は、意外と表面的に感傷的にとらえられがちである。

確かに反戦映画の代表であることは間違いはないが、その手法が極めて詩情的であり、それがために見る者の心に深く印象が刻まれるのである。
見る者は戦争の悲惨さという表層的感情よりも、もっと深い幼い子供のいたいけな感性に涙を流す。

パリから疎開する途中で、ドイツ軍による機銃掃射によって両親を失ったポーレットが、年上のミシェルと共に「十字架遊び」に日々を過ごす毎日の情景は詩情に富み、またフランス人特有のユーモアも潜む。

そうした二人の、周囲の大人に内緒の「十字架遊び」が幕を降ろされ、ミシェルと引き離されたポーレットは孤児院に収容される。「ミシェル、ミシェル」とつぶやきながら泣きじゃくるポーレットの耳に突然「ママ!」と叫ぶ子供の声が聞こえてくる。
その瞬間ポーレットの感性は、失った自分の母の存在を取り戻す。「ミシェル」というポーレットのつぶやきは「ママ」に変わり、そしてその声は次第に大きくなり、ポーレットは孤児院の雑踏の中を、死んで久しい母を探して消えてゆく。カメラアングルは次第に高くなって雑踏の中に消えてゆくポーレットを映しながら終わる。

これは確かに戦争が引き起こした悲劇であることは間違いのないことだが、見る者はそうした悲劇に涙を流すのではなく、親を失った幼い子供のいたいけな悲しみを共有して涙を流すのである。その悲しみは、人であれば誰でもが共有できる、心の奥深い部分に由来するものであるから名作として残っているのだ。
モノクロ画面であるが、かえって見る者の心の中に自由な彩色が施されて記憶の映像として残る効果をもっている。天才監督ルネ・クレマンの代表作である。

一方音楽を担当したナルシソ・イエペスはまだ24歳頃だったはずだが、ルネ・クレマンに請われてこの名作の音楽をギター一本で創りあげた。
イエペスによると脚本を完全に暗記してから、各場面を自分でイメージしながら曲を構成したらしい。主にスペイン民謡と言われるロマンスを中心に構成されているが、フランスのJPラモーや、古いスペインの作曲家であるロベルト・デ・ビゼーの小品も織り込まれている。
僕が一番感激している部分は、ポーレットが孤児院で突然泣きだして、「ママ、ママ」と言いながら雑踏の中に消えてゆく場面で、イエペスは主題でもあるロマンスを流すのであるが、長調に転じた旋律に、高音で副旋律をつけたことである。これにより音楽はさらに深みがでて、単なるいたいけな少女の悲しみへの思いから、もっと深い普遍性のある”悲しみ”の感情を見る者に引き起こす効果をもったのである。

子が親を失い涙を流す光景に、深い悲しみを覚えない人間は数少ないはずだ。それはなぜだろうか?
同じように親を失った幼い動物たちにも全く同じような感情を抱くはずだ。
それはなぜだろうか?

この名作はそのように問いを発しているように僕は思っている。その問いは見る者の感性を通じて、人間の心の根幹の部分を揺り起こす。
そのとき人は戦争の悲惨さを感じるだけではなく、親子の愛、そして人と人との間に存在する愛に気づくはずだ。ルネ・クレマンとイエペスの意図はそこにあった。