ペガサス
小説「ペガサス」より(野洲記者の遺言)
医師も人間であることは間違いはない。とすると、そこには人間全てが共有しているところの普遍性ある理想的目標があるはずだ。それをS医師は”生”と表現した。S医師のいう”生”のサポートとは、その人間全てが共有している目標に、患者たちが向かうサポートのような気がする。
現状では医師と患者の間の接点は、患者の抱えている病気である。医師は病気に目をむける。そして科学的手段でそれに立ち向かう。そうした姿勢はしだいに、人間としての医師と患者の距離を広げてゆき、いつしかそこには病気だけが存在している。
それは極めて不思議な現象なのだ。人間として存在している、このわれわれの空間において、人間としての交流が途絶えてしまい、病気という”物質にも似た観念”を媒介にしてしか、お互いを認識できない。
これはわれわれの社会の宿命なのだろうか。
もしそれがわれわれ市民社会の本質に根ざしたものであるとしても、僕は医療の現場はそうあって欲しくないと願う。
医師の中の”人間”には患者と共有している本質的部分があるはずだ。しかし、もし医師が人間としての患者を包容できないとしたなら、それは医師の中の”人間”が、白衣を着た医師になりきってしまった場合ではないだろうか。
白衣一枚でそうも人間が変わるのであろうか?白衣のもつ意味はそれほど大きいのだろうか?僕には医師の白衣が予防衣ではなく、防護服として存在しているように思われてならない。
もし医師が防護服を脱ぎ捨てて、患者と同化でき、そして共にあの夜空のペガサスのように煌くことができるようになったなら、医療は原点に立ち戻ったといえるのかもしれない。たしかにそれは遠くにまだ見えない目標なのだが。僕らの社会と同じように。
しかし、もしかしたら、それは遠い過去に置き忘れてしまったものなのかもしれない。
でも僕は強く信じたい。患者たちが天馬のごとく天空に舞い上がる日がくることを。
そしてたぶん、そうした日には全ての人間がペガサスになっていることは間違いのないことのように思う。
読み終わったとき僕は、心の中で長く淀みつづけていた何かが吹っ切れた。
僕は心の中でつぶやいた。
「僕は白衣を脱ぐよ。そしてペガサスになりたい。あなたたちのようにね」
そして”ペガサス”はキーワードとなって僕の脳裏の中をくるくると回転しながら、奥の方に吸い込まれていった。
ありがとう、野洲さん・・・。
僕は付け加えた。