SARSとの小さな戦い
三月中旬のある早朝、私は何気なくWHO(世界保健機構)のホームページを開いた。そこで私は新しいウィルス感染症の発生を知った。厄介な事態になると思った。医学的には十分予期されていたことだった。多くの細菌感染症は20世紀に医学的にコントロール可能となっている。しかし前世紀の終盤に発生したHIV感染症に始まる各種のウィルス感染症には、今後も世界は悩まされ続けることを、多くの医学研究者達は予想している。ウィルスに対して抗生物質のような強力な武器を、我々は持っていないのだ。
数年前の冬に香港で鳥からのインフルエンザウィルスが人で発見されたとき、私は今回と同じように不安感を抱いた。それは幸いに人から人への感染が認められなかったが、今後とも警戒を要する。もし人への感染性をウィルスが獲得したなら、スペイン風邪のときのように、世界で数千万人の死者がでる可能性がある。
私はSARS感染症の特集ホームページを立ち上げた。SARSに関する情報を国内に流すということもあったが、自分で勉強した内容をまとめておくという意味合いもあった。自分のホームページにまとめておくと、どこにいてもインターネットに接続できる端末さえあれば、自分の資料として調べることが出来る。
ホームページにSARS情報を掲載し続けるのは結構大変な作業だ。SARSに関するWHOとCDC(米国疾病管理センター)、さらに他の海外のサイトの情報は毎日更新される。それらを読みながら自分でまとめてゆくのは意外と時間がかかる。毎朝3時間の日課となった。時には休みたいこともあるが、毎日ホームページにアクセスしてくる多くの人のことを思うと中断はできない。
4月に入って厚生労働省が重い組織の歯車を回しだして情報を発信しだした。しかし公式情報というものは事務的伝達であって、人に考えるための知識や情報を与える効果は薄い。少なくとも感性には訴えない。
最初のうちはSARSの情報だけで良かった私のホームページも、次第にSARSが発生した場合の予防対策や、そのための装具の情報にまで内容が広がりだした。このレベルの話になると定かな情報は手に入らない。WHOもCDCもSARSについては、いまだ十分分かっていないからだ。
でも、もし日本で発生したなら、いや小樽で発生したなら保健所はどうする?早朝に海外の情報を訳してホームページに掲載しながら、私はそうした不安感を抱きはじめた。
SARSの感染力は強く、患者に接した保健医療関係の人々の発症率が高いうえに死亡率も高い。私は意味も無く恐れはじめた。病院での臨床を離れて2年余の私は、かなり素人的にSARSを捉えていたのだ。
そんな頃、ベトナムで最初にSARS患者を診断して、院内における感染予防対策の重要性を説き、ハノイにおけるSARSの封じ込めに貢献したWHOのウルバーニ医師の死を知った。SARSについて何も分からなかった初期に奮戦した結果、自ら感染してしまったのだ。
ウルバーニ医師の死を知ってから、私はSARSをより医師としての目で観察するようになった。SARSの情報を正しく伝えることは、予防医学の分野で働く私の義務であることは間違いない。毎日地球上で、生きている同胞としてのアジアやカナダの人々が感染してゆく。それは医師としての感性を持ち続けている限り、焦りを伴った恐怖感を抱かせる。日本の人々はいまだにこの日本列島の外を、遠い光景としてしか捉えない傾向にある。
日本に住む我々が、SARSの危険から逃れる方法はただ一つしかない。行政も含めた我々が、賢い方法で感染予防に努めることだけだ。賢い方法のための情報はすでに集積されだしている。そうした情報からいかに感染予防のための行動をとるかは、この社会に生きている我々の知恵によるものであり、また義務でもあるのだ。私は今それを期待している。行政で働く医師として今何をすべきか?私は今後も悩むだろうし、苛立ちを覚えつづけるだろう。私は今医師として、敗北感を決して味わいたくないと思っている。