| アランブラ宮殿の想い出 良い音楽であればあるほど、生涯にわたって聞き続けることが多い。僕の場合、バッハの無伴奏チェロ組曲などのほか、タレガの[アランブラ宮殿の想い出]がある。 この曲は学生時代から、数十年近く経た今でも聞き続ける。何かの折にBGMのつもりでCDなどをかけても、すぐに手を休めて曲想の中に引き込まれてしまう。 バッハの場合も状況は同様だが、なぜか多くの論理が頭の中をかけめぐる。分かりやすく言うと、バッハの場合は、仏教哲学でいうところの[常識]が覚醒してくる感じなのだが、この曲の場合は全く異なっていて、神への傾倒とか、[人の世の不条理性に対する嘆き]とか、悲しみから希望へのモチベーションとか、さらに論理的な感性刺激とか、そんな複雑な作用は起こさない。 アランブラ宮殿の想い出は、忘れ去った[アランブラ宮殿]を回顧させる作用を持っているのだ。忘れ去ったというのは今という時点だからであるが、学生時代は遠くに幻想のように見える[アランブラ宮殿]であったと思うし、また時には現実の生活の中で垣間見る[アランブラ宮殿]であったはずだ。 それがいつしか通り過ぎてしまった[アランブラ宮殿]を回顧するようになってきている。もっと間違いのないように正確に記述すると、かって夢見た幻想のようなロマンを思い出し、そのロマンを今でも求める意識を確認できる喜びが仄かにわきおこる、という表現が、この曲を聞いたときの僕の心象として正しいような気がする。 タレガは19世紀末から今世紀にかけて活躍したスペインのギタリストであるが、他にも多くのギター曲を残している。音楽史上、後期ロマン派ともいうべき分類に属するが、この曲が世界中で愛されている理由は、単にロマン派作品の中でも馴染みやすい旋律だからということではなく、旋律の彼方に、上述したような、絶えず遠望できる[夢]を抱くことができるせいだと思っている。 [アランブラ宮殿]は誰の心にも存在している。クラシックとしては短い曲ではあるが、聞くたびに僕の心の中に現れる光景は異なる。あのときの彼女との語らいの光景であったり、夜の街角で涙を流しながら去ってゆく彼女の後姿、そしてそこから前方にさらなる幻を追い求めようと決意したときの自分の心であったり、また別なときには、いまだ見えない[不条理性]を解く大いなる存在に対する夢であったりもする。 アランブラ宮殿は確かに美しい。夕陽に染まった真っ赤な塔は自然の現象を超えて見るものの心に、自然が呈することが出来る以上の美的感覚を呼び起こす。それは正しく人の夢なのである。そしてこの名曲は、芸術だけが果たすことのできる人への作用をもって、見事に「アランブラ宮殿」を私たちに提示するのである。 |