ある再会

              
 その日は十一月の岡山にしては少し気温が低いというものの絶好の秋日和。透明な青さが心を浄化するように空一面に広がっていた。出てくるときの北海道の空はすでに初冬の暗さが感じられていた。
 目的のシンポジウムが終わったあと、当初の予定通り後楽園を散策してから、空路札幌に戻ることにしていた。帰ると患者たちに翻弄される日々がつづく。
 久々の後楽園ではあったが、修学旅行生が多く、その喧騒を避けるために、僕は小さな茶室の陰に向う小道をえらんだ。
 欝蒼とした竹林の中にせせらぎがあり、その側にいくばくかの日溜まりが見えた。そこでしばし時間をつぶそうかと近付いて行くと、ベンチに一人の若い女が座っていた。
 先客か。彼女の膝の上に学会の抄録集がのっているのが目に入った。まだ二十代に見えるその色白で理知的な横顔には、突然の人の出現を別に気にした様子はなく、顔はせせらぎに向けられたままだった。何気なく安堵感を抱いた僕は、その場に立ち止まっていた。黙っているのも不自然で、
――白血病学会ですね。
 と僕は声をかけた。小川の流れは人工的なものではあったが、湿気のある静寂感をあたりに漂わせていた。
 彼女はせせらぎを見つめたままうなずいたように見えたが、少ししてからこちらに顔をむけた。
 その顔には明らかに見覚えがあった。僕は急いで記憶をたどったが、彼女の方が早く反応してきた。
 ――T先生、ですね?
 彼女の記憶は確かだった。
 T女子医大のA先生だった。
 あれは2年前に仙台で開かれたこの学会だった。僕は彼女の発表にクレ−ムをつけ、彼女の怒りを買ったことがある。
 彼女は30余例の白血病患者に関する治療成績を発表したのだが、その中に数例の化学療法によると思われる副作用死亡があった。僕はフロアに立って、薬の使い方が強過ぎたのでないかと質問した。白血病化学療法の分野では多少とも名を知られはじめていた僕だったから、一種の自己顕示欲が働いていた。彼女は僕の質問に怒ったように、白血病を治すための治療方式を確立するためには致し方がないとか、そんな返事を返してきた。それに対して僕は、それじゃそれらの患者は新しい治療方法確立のための犠牲者と考えても良いのかと再度質問すると、彼女はその端正な顔を突然歪め、それでは白血病で死ぬのは犠牲者だと先生は思わないのですかと、論理を逸脱した。僕の質問は少し意地悪なものだったと思うが、それにしても彼女の反応は、あまりにも感情的なものだった。
 しかしあれから2年、その端正で理知的な顔に見覚えはあっても、あの時見られた激しい感情が撥露する無鉄砲な若さはどこにも感じられない。あのとき僕は、彼女は”医学者”の道を歩むな、と直感したのだが。
 ――僕はもう、さぼりですよ。
 少し照れたように言う僕に彼女はうなずくと、再びせせらぎに顔をむけた。先ほどよりも頬に紅みがさし、そして表情にも柔らかさがでているのに僕は気づいた。
 ――私もおなじです。いついらっしゃったのですか、先生は?
 余裕のある響きだった。彼女は昔と変わった。僕はそう思った。
 ――昨日です。今日、評議員会と骨髄移植のセクションに顔をだし、もう帰るんですよ。
 その時僕は彼女の教室からも骨髄移植の研究発表があった事を思いだした。
 ――そう言えばでてましたね。演題が。
 ――聞かれたんですね。
 彼女はそう言うとゆっくりとうなずいた。そしてしばしの静寂の後に、彼女は思いだしたように顔を上げて僕に言った。
 ――夢二美術館行かれました?
 僕は午前中早くに学会場に向かう途中、近くにあった夢二美術館で、この大正、昭和の画聖の魂に触れていた。
 ――哀しいですね、昔の女性は。夢二はその哀しさの中に女性特有の美しさを見たのかなあ?
 僕には分からない、いまだ女たちにとって解放されていない時代だ。全てを堪え忍び、その哀しさを内向させている。その姿は男たちには美しい。
 ――女はいつでも哀しいものですよ。
 彼女はそう言うと、少し悪戯っぽい笑いを僕に向けてから立ち上がった。
 女はいつでも哀しい?それはこの若い女医には不釣り合いな言葉だった。彼女は夢二の世界に浸るうちに感傷的になったのだろうか。
 そうした僕の思いを感じたのか、木立の中を歩き始めた彼女は、突然呟くように言った。
 ――死んだんです。 
 誰が?、僕は思わず彼女に視線を向けた。木立の中の陰影に包まれたその横顔には、先ほど見せた柔らかい紅みは消えていた。
 ――骨髄移植4週目でした。
 患者かと僕は思ったが、つづいて彼女の口からもれた、友達です、という独り言にも似た言葉は、僕の感覚の中に突き刺さってきた。
 ――友達が骨髄移植?
 と小声で聞き直した僕に向って、彼女ははっきりとうなずいた。
 ――彼、4年程前にAML(急性骨髄性白血病)を発病したんです。2年間寛解が続いたのですけれど再発しました。それが再び寛解に入ったあと、彼の希望で骨髄移植を行なったんです。HLA(組織適合性)が完全に一致するドナ−(骨髄提供者)は見つからなかったのですが。
 ――HLA不適合で? 
 HLA不適合での移植は、いまだ成功率が極めて低いはずだ。
 ――彼のたっての希望だったんです。それでも移植自体は成功しました。しかし突然間質性肺炎で、・・・丁度1ケ月前です。
 それは良くある重篤な合併症の一つだ。致死率は高い。
 ――ドナ−は簡単に見つかったのですか?
 何気なく僕は聞いたが、それは明らかに愚問だった。彼女の口元は一瞬ゆがんだ。
 ――私と彼のHLAは、ミスマッチでしたが、最近の報告では成功している例もあり、必ずしも無謀ではなかったんです。
 後楽園から出て旭川に沿って歩きながら、彼女は色々骨髄移植について話した。彼女自身3年前から骨髄移植チ−ムに入り、相当数の患者を手がけてきたようだった。化学療法にあきたらず、骨髄移植に進んでいった。そのひたむきさと若さは、2年前の学会で、”それでは先生は白血病で患者が死ぬのは、犠牲者とはお考えにならないのですか?”と反論した彼女にふさわしかった。
 ――1ケ月間私は彼と一緒に無菌室で生活しました。拘禁状態って分かります?自分が世の中とどう関わっているのかも感じなくなり、そして何のために目を覚まし、何のために食事をとるのかすら分からなくなってくるものです。
 骨髄移植患者に生じる拘禁状態は学会で良く知っている。しかし僕は聞きたかった。あなたは彼の死を予知していたか?と。そしてそれは医師としてなのか。
 それに対する答えは次の彼女の会話に用意されていた。
 ――確かに彼は死に向っていました。最後の3日間は呼吸困難が強く、時々私がマスクをあてて酸素を送ってあげることもありました。そんな中でも彼は私の話を聞きながら、にっこりうなずきさえしたんです。でも私はやはり医師でした。あまりにも呼吸困難が強いため挿管(気管内に管をいれ、人工呼吸器につなげる)の準備をしたのです。しかし彼はチアノ−ゼの唇で何か言おうとしたのです。私が側によると私の手を握って放さないのです。そのとき私は理解しました。彼に必要なのは医師としての私ではないって。その次の朝早くに彼は亡くなりました。
 涙も見せず、淡々と語る彼女に僕は意志の強さを感じると同時に、優秀なる医師として歩んできた過程で身につけた、豊かな客観的洞察力をも感じた。   
 ――医師の役割って何なのでしょう?人を救う、これは職業ではないように思えるのです。私自身、自分を医師と考える限り、彼に尽くしたようなケアは不可能と思うのです。
  彼女の口から静かに出る言葉は、心臓の鼓動を速めるアドレナリンにも似た効果をもって、僕の身体中に瞬く間に広がっていった。
  風に流れる髪を右手で押さえながら、彼女は頭上に見える岡山城の天守閣を見上げ、そして立ち止まった。限りなく奥行きのある青さの中に、それは悠久の時を刻み続けていた。
 ――少し仕事を休みます。しばらく考えたいんです。私自身の医師としての方向性を。
 そう言った彼女の横顔に一瞬微笑みがうかんだが、それは僕には哀しみだった。
 城内から学会の抄録集を手にした数人のスーツ姿が、にこやかに談笑しながらでてきた。いつもの学会の光景だったが、僕には耐えられないほどの違和感をもった。
 彼女はそこで僕に別れを告げると、旭川に添った道沿いをゆっくりと去っていった。
 ふたたびあの夢二美術館に行くのだろうか。僕は彼女の後ろ姿になぜかそう思った。
 医師の役割?それはキーワードとなって僕の脳裏で幾多の画像と交錯しだした。
 僕は息苦しさを感じ、大きく息を吸い込みながら頭上を再び仰いだ。
 悠久の時の中の天守閣に答えを求めるように。