白い少女

 僕はドイツ留学中(フライブルグ)によく旅をしていた。研究が面白くなかったわけではなく、日本に比べると本当に時間が多くあったからだ。金曜日午後にはみんな帰ってしまう。これは公的には定められた規則ではなかったが、一般的に週末の準備ということで、まかり通っていた。今ではそのような規則が出来ているのかも知れない。簡単にいうと金曜日午後から週末に入るということになのだ。
 ドイツ国内はもとより、すぐ近くのフランスのアルザス地方やスイス、このあたりは日帰りがほとんどだったが、ちょっと足を伸ばしてルクセンブルグやオランダそしてイタリアなどは、北海道で言えば道内という感じだった。

 ある時アルザスのコルマールという古都に一人で出かけた。小さな町だったが、本当によくまとまっていて中世のパリのミニチュア版ともいえる美しい町だ。今では日本人ツアーも出かけると聞く。
 町の広場でで一人の少女に出会った。ベンチに座って分厚い本を読んでいたが、地元の大学生のようだった。幅広いつばのある帽子をかぶって、本当にルノアールの絵のような少女。
 道を尋ねた僕が日本人だとわかると、すぐに流ちょうな日本語で話し出したのには驚いた。母親が日本人で小学5年生まで日本に住んでいたと説明してくれた。面長で彫りが深く、とても日本人の血が混じっているとは思えなかった。大きな目で絶えず口元と目元に笑いをうかべながら話す少女は、僕にとって間違いなくフランス娘だった。18歳位なのだろうか。僕にはフランス娘の年齢を推し量ることは難しかった。
 彼女は町を案内しましょうか?と言ってくれた。やや小柄でブロンドの長髪を肩まで流した彼女の案内で、あの中世の古都を散策するのは、僕にとって幻以上の出来事だった。
 日本語がしっかりしているので、英語で説明するガイドなどよりははるかによく理解できた。時々出会う友達と”チャオ!(イタリア語)”とか、”ハイ!”とか言って片目をつぶって声を掛け合う姿には新鮮なエネルギーを感じた。
 カフェーで休んだりしながら、最後は小さなレストランで夕食をご馳走した。多くの会話の数々の中に、彼女の中に僕がこれまで接したことのない宇宙観のようなものを僕は感じていた。彼女は決して宇宙人などではなかった。
 
 彼女は突然古い木製のテーブルの上にバッグからノートを取り出し何か書き出した。それはフランス語で書かれたポエムのようだった。彼女はそれを小さな声で読み上げてくれた。まるでシャンソンのような響きがあった。意味は分からなかったが、ポエムの中に輝く彼女の感性は間違いなく、そのフランス語から僕に伝わってきた。
   僕はそのページの下にポエムで返した。少し古風ではあったが、語尾で韻を押さえた(ライム:脚韻)。それが彼女に通じたのか、顔一面に微笑みが浮かび、白い頬が赤らんだ。
 僕達は数編それを繰り返しただろうか。知らないうちに11時を過ぎていた。フライブルグへの帰路は1時間ほどかかる。
 泊まっていこうかなぁ・・。僕がつぶやくと彼女はカウンターのそばにいたボーイに何か話に行った。二階に数部屋用意した小さなホテルでもあった。
 結局、僕はその夜コルマーに泊まることになった。

 翌朝早くに彼女は寮から詩集を携えてやってきた。自費出版したという薄い綺麗な装丁の詩集だった。タイトルは【明日への幻想】とフランス語で書かれてあった。
 中に書かれたフランス語が読めない僕に彼女は、部屋の中で数編のポエムを読み上げてくれた。それはまさしくシャンソンだった。詩集を読み終えた後、彼女は小さな声で本当のシャンソンを口ずさみだした。日本でも知られている古いシャンソンだ。【ロマンス】。ゆっくりとした旋律の中にフランス人の叙情的感性が漂う。窓の外を眺めながら歌う彼女の横顔にはすでに少女の面影はなかった。