言葉をつかって伝えるもの

小説の作用は?
と問われたら、答えは
読み手の中に存在する
書き手の中に存在するものと
同質のものを喚起すること
としかこたえようがない。
言葉は音楽でいうところの音と同じだ。ストーリーは音楽でいうところの旋律と同じだ。
大きな違いは音自体には元来意味はないが、言葉には意味があるという点だ。その言葉の意味が分からない人には、その言葉を含んだ文節は理解されない可能性がある。そういう意味では音楽よりも文学の方が知的であると言えるのかも知れない。もちろん知的である方が高尚だと言っているのではない。
一つの言葉には多くの意味またはニュアンスがある。日常多く使われる言葉になればなるほどそうだ。そうした言葉を多用して文章を練るのは非常に難しい作業になる。読み手が間違いなく僕の意図したように文章を理解するという保証はないからだ。僕には至難の業だ。
ある程度意味が限定された言葉で、言いたいことを表すのは比較的楽な作業と言える。そしてその言いたいことの半分くらいは、読み手に伝わる可能性はあるに違いないと思っている。
より多くのイメージをもった言葉で、読み手の知性のリセプターを通して僕の表現したい世界を移入することが、僕の創作活動の最終目標と思っている。しかし、そこには大きな壁が存在する。僕が予想している読み手の知性のリセプターが果たして僕の言葉、または言葉と言葉の空間を受け止めてくれるだろうか?という問題だ。それは、たぶん、僕の書き手としての能力に依存してくる問題なのかも知れない。
僕の表現したい世界とは?と今聞かれても答えることはできない。なぜなら言葉で答えることが出来るのなら、僕は小説なんて書きはしないからだ。
10年前から書き出した日曜作家に過ぎない。それでも活字にしてくれる出版社があることを僕は光栄に思っている。
<未出版小説集>
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