最後の童話


                      1936年7月〜39年4月
                      スペイン内乱
                      多くの義勇兵がこのトレドで死んでいった

           


 僕がアリシアと会った日、村では祭りが始まるところだった。
 民族衣装で着飾った娘たちが村の広場に集まり、その周りを取り囲むようにタキシードを着込んだ粋な若い男たちが、村長が村で一番高い建物である役場の四階の窓から、大きな花輪を放り投げるのを待っていた。
 窓から放られた花輪が空に舞うと、娘たちはゆっくりとそれぞれ好きな若者のもとに向かう。たくさんのカップルが出来ると同時に広場では音楽が鳴りだし、若者たちは踊り出すのだ。裾の長いスカートをはいた娘たちは、スカートの裾を左手で引き上げながら、右腕を闘牛士のように気取って立つ若者の左腕に回し、ゆっくりと踊り出す光景は、何となく宮廷のダンスを思い起こさせるような優美さもあったが、それよりも赤とか青や黄色といった原色を中心とした民族衣装が広場の中で、音楽のリズムに合わせて入り乱れて動く様は、日本人である僕でさえ心が激しくかき立てられるはずだった。
 9月初めのアランフェス。スペインでも内陸のこの地はいまだ暑さが残っていた。空気が乾燥しているから、建物の影に入ると意外と涼しい。
 僕はサングリアを片手に村長が放る花輪を待っていた。どこまでも青いスペインの空だった。太陽がそろそろ頭の上に来る。

                      

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 花輪が空に舞った瞬間、広場には歓声が沸き起こった。娘たちは好きな男たちに向かうのだが、それはすでに娘たちの間で誰が誰を選ぶかは取り決められていた。昔はそうした取り決めがなく、一人の若者を巡って娘たちの間で取り合いが頻繁に見られたらしかったが、今では暗黙のルールとして、すでに娘たちの間では相手が決められていた。
 突然一人の娘が僕の所に長いスカートの裾を引きづりながら走ってきた。
 「ハポネ?」
 娘はゆっくりと尋ねながら僕の左腕に自分の右腕を回してきた。
 「シー」
 呆気にとられながら僕は覚えている数少ないスペイン語で答えた。
 すると娘はニッコリと笑うと、
 「いいですか?」
 とはっきりとした日本語で言った。
 「えっ!」
 驚いたまま娘の顔を見つめていた僕の手から、サングリアの入ったワイングラスを娘は取り上げると傍らのテーブルに置き、僕を広場の中央に連れ出した。
 「踊りましょう」
 娘はそう言うと呆然と立ったままの僕の周りを舞いだした。
 僕はただ左腕を娘の右手に回したまま直立不動で立っているだけで良かった。
 娘はときどき組む腕を変えて回る方向を変えた。
 すごくエキゾチックな顔立ちで、僕には広場にいる娘の中で一番美しく感じられていた。
 
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 その夜僕は娘を抱いていた。
 それは娘に選ばれた男の権利でもあったからだ。
 本当にアリシアは巧みに日本語を話した。マドリッド大学の日本語科で学ぶアリシアの日本語は、すでに日本の若者の間では失われつつある正当な日本語だった。
 アリシアの祖父はスペイン内乱で日本からやってきた若い学生だった。
 アリシアは自分の祖父を尊敬していた。遠い日本から異国の地に、その地の人々が独立を勝ち取るための戦にやってきたのだ。日本が大きな戦争を始める前のことだった。
 「私には祖父の血が流れているわ。日本人の血」
 アリシアはそう言いながら激しく抱擁を繰り返した。
 僕には遠いこの地に命をかけてやってきた日本の若者の心が分からなかった。と言うよりも信じることが出来なかった。
 「トレドのアルカサルの地下に祖父の写真がかかっている。銃をもった祖父は勇ましいわ」
 アリシアは誇らしげに言った。
 僕はアルカサルの地下に掲げられた世界中から集まった義勇軍兵士の写真は知っていた。日本の若者の写真も多かった。みんなアルカサルに立てこもって死んでいった若者たちだった。
 「私は祖父が恋しい」
 アリシアはそう言いながら何度も僕を求めた。
 僕はアリシアの熱い体から、スペインの人々のために血を流して倒れた、遠い日の日本の若者の激しい情熱を感じ取った。
 彼の情熱は何に向かって迸ったのだろう?
 僕は自分の疑問を解くかのように、アリシアの身体全体に自分の頬をすりつけた。
 
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 アリシアの身体から、次第に遠い日の日本の若者が抱いた果てしない夢が、幻のように浮かび上がってきた。
 自分の命の中に抱いた夢。それは生きるという次元を超えた夢。
 その夢に気がついた僕は思わず叫んだ。
 「アリシア!」
 その若者が、ものすごく愛しく感じられたのだ。
 いままでこの地で眠り続けていた、遠い日の若者。
 「アリシア!」
 ふたたび僕は叫んだ。
 僕にも生きることを超えた夢があるはずだった。いやあったはずだ。
 アリシアの身体の中から僕は忘れていた自分の夢を取り戻してきた。それは果てしなく広く、そしてスペインの青空の奧にも届きそうなくらいの深さをもっていた。
 アリシアの中の青年は、僕に全ての夢を託しているのだ。
 「アリシア!」
 僕は青年に伝えた。
 それは言葉ではなく自分の感性で、アリシアの中に伝えた。
 僕は君の夢をもらった。
 夢は果てしなく遠くにしか見えない。
 でも僕はそこに向かうためのロマンというエネルギーを、たしかに君からもらった。
 僕は決して忘れはしないだろう。
 この地で君に出会ったことを。
 
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 翌朝、僕はアリシアとの出会いを、僕の大切な「思い出」として心に残しながら村をでた。
 「アリシア!また来るね」
 僕はアリシアにそう言ったが、二人の祭りは一度きりなのはお互いに分かっていた。
 それは今、僕にとって「最後の童話」となっている。